「『13歳からの道徳教科書』(育鵬社刊)出版記念の集い」に出席する。さっそく家に帰って読み始めたが、いい本だ。子供たちは本当はこういう本が大好きだ。歴史上の偉人がどんな苦労をしながら人生を生きてきたかを本当は知りたい。私も小学生の頃はわくわくしながら、むさぼるようにたくさんの偉人伝を読んだ記憶がある。
この本は平成21年の教育基本法学習指導要領の改正に伴い、道徳教育の推進をめざした「道徳教育をすすめる有識者の会」が中学生向けのパイロット版道徳教科書として作成された。
民主党政権になって、道徳の予算は半分に削られたが、昨年の3.11を通じて逆に多くの人が道徳の大切さを身を持って知った。是非、この本をきっかけに百花繚乱のようにいろいろなところで道徳本を出版してほしい。
人が人として生きる道を現代社会では教えてくれる人が少ない。多くの子供たちは、自信をなくし、自分をダメな人間だと思っている。数学、英語の勉強以上に子供たちに生きる勇気と希望を教えたい。
それは説教用ではなく、先人の感動的な実話が最も自然に心に沁みる。『13歳からの道徳教科書』には、二宮尊徳の“勤労”、福沢諭吉の“見識”だけでなく、イチローの“目標”やビートたけしの“敗北”等まで幅広く入っているところが面白い。
家庭や学校で、道徳としてかまえるのではなく、ただ読み物としてもこのような本がたくさん読まれるようになった時、日本は本当に甦るだろう。自信と誇りを持って、自分を愛し、人を愛し、天を敬うことができるようになった時こそ、世界に誇れる国にもなる。
まずはこの本がベストセラーになることを祈念したい






携帯電話でも、hakubun.jp
私はその道徳本を読んでいないので、無責任なコメントになってしまうが、「素直でない」私のような子供は、自伝でもない、恐らく脚色の入ったと思われる「物語」を素直に受け入れるだろうか。私の道徳は簡単で子供が居たらシンプルにこれだけ教える「法律違反と他人に迷惑をかける事はするな。逆に言えばそれ以外は自由に自分の可能性を開花させるべく人生にこだわれ。先ず自分の為、社会の役に立てば更にいい。社会から感謝されるから。付け加えれば、つまらない人物とはかかわるな。」である。偉人は元々天才だった可能性があり、
凡人の子供にそのまま有益な働きをするか不明だ。恐らく偉人と同じごく一部の、その素質を持った子供は共鳴するだろう。
子供(大人も含めて)が自信を持てていないとすれば、それは道徳教育不在の為ではなく、「自分の頭で考える事を知らない」ためである。(了)
話をもう少し展開させると、自分の頭で考えろ、は懐疑論に基づいている。自分の子には、私の言っている事自体も懐疑的に捉えろとパラドックスを投げかける。私の父親もそれをやった。「父親は絶対正しい」の真逆なのだ。徹底的に自分で答えを出せ、を教えた。逆に言えばそれだけだった。これが屁理屈の得意な人物の作りなのだ。屁理屈をいう人物は一般人には嫌われるが、友人の司法書士に言わせると弁護士には向いてるそうだ。(了)
道徳は大切だと思います。
「道徳」を否定する人がいるでしょうか?
いるとしたら、社会を壊そうとしているひと。あるいはサタンでしょう。
頭の悪い人が、しばしば、道徳と道徳教育を混同します。
代表的な例が、戦前の修身の復活です。
そして「戦前の方がよかった」といいます。
心配なのは、頭の悪い人たちが、短絡的な思考でファッショになることです。
私ばかりコメントしてて恥ずかしいが、その道徳本に興味をもった。その道徳が戦前に象徴的な旧いものか、国際化時代を含めて現代的かで大きく違うからだ。目上の人を尊敬しましょう、とか、謙譲の美徳、とか、物を大切にしましょう、とか現代からみてナンセンスな道徳がかつてあって、今でも口にするシーラカンスのような人々(特に年寄り)もいる。無駄に歳をとっただけの、人物的にも未成熟なまま数字だけ重ねている者を尊敬しろ、は馬鹿げている。せいぜい、気の毒だから馬鹿にするのはやめましょう、程度ならわかる。謙譲の美徳も国際社会の標準ではナンセンスだ。その価値に気づいて、評価してくれる外人も、中には居るかも知れないが、それを言うなら、尖閣も竹島も北方領土も謙譲の美徳で手を引くべきだ。国際社会では、論理展開力と表現力に裏打ちされた自己表現が求められる。消費を伸ばすため消費を増やす為には、もったいないかな?と思ったら、迷わず捨てて、新しく購買しなければならない。昔と違い、捨てたものはリサイクルされる時代なのだから、昔と違うのだ。・・・昔の道徳が通用しない時代にも気づかず、かっての封建的道徳を若者に説教している、国の扶養家族である身の老人に対して「新しい道徳」教育も必要だ。(了)
百聞は一見にしかずです。自分の行動を棚に上げて申しますと、この道徳の本は、人生論として面白いです。橋本左内、吉田松陰、西郷隆盛(幕末の偉人の中でこの3人というのはちょっと渋いです)。マザー・テレサに光明皇后。ヘレン・ケラーと塙保己一。本田宗一郎、米百俵の小林虎三郎、稲村の火(小泉八雲の紹介で有名になりました)、佐久間艇長と乗組員(英国の潜水艦学校の教科書に載っているとの由です)などの人物とエピソード。知らないでいると、外国人に指摘される話が多いと思います。奇跡のリンゴの木村秋則さんの話もあります。絶対不可能と言われていたリンゴの無農薬栽培に挑戦し、9年もの年月をかけて成し遂げた人です子供の文房具も買えない、食べるものにも事欠くような極貧生活の中で、成し遂げた姿は感動です。今日は彼が書いた本を本屋さんで買ってきました。ぜひ手にとってご覧ください。
現代においても、耐乏や倹約を説くモラル派(安岡正篤、中村天風)には上からの統制主義者が多い。
経済・産業政策においては新自由主義をとり、思想・道徳では統制主義をとる。
自民党は自由主義を掲げ、個人を尊重する政党に転化するべきである。
今、「道徳」や「モラル」「倫理」が一番求められているのは・・・・
日本の近代資本主義の父・渋沢栄一は「道理のあるものは必ず生産と一致し、仁義道徳と生産利殖は決して矛盾しない。ただし、富をなす手段としては、第一に公益を旨として、人に害を与えたり、人を欺いたり、偽ったりしてはいけない。そういう前提のもと、それぞれが各人の職に尽力して富を増やしていくのであれば、いくら発展しても何の問題ない。しかし、モラルなき金儲けは必ず失敗する」と語っている。
今の日本はどうであろうか?
少し前のホリエモン・村上ファンド騒動、最近の大王製紙・オリンパス問題、約束したマニフェストを悉く破り約束もしていない増税を唐突に言い出した民主党、銀行や電力会社など大企業には甘く何かあったら公的資金という名の「税金」で
国民に尻拭させ、財政が厳しくなったら税金をあげることしか考えない一方で、自分達の権利・待遇を削るのを過度に避けてきた政治・政治家・官僚達・・・
道徳は「権力者」の露払いであってはならない。
自己を律せ無いトップ達が語る上からの「道徳」と
東日本大震災で見せた市井の名も無き人が見せた「道徳」。どちらも同じ「道徳」であるならば、私は後者のボトムアップ型の「道徳」を
尊ぶべきであると思う
「自由民主党」はいい名前だ。経済は自由(市場)経済でいき、政治は民主主義を選択する、という
明解な主張がこめられているからだ。共産党も良し悪しは別として、「コミュニスト=マルクス」を宣言しているから分かりやすい。公明党は支持母体の内部で社会に対し公明でない、暴力団の様な上納金制度があるらしいから、実態は名に値しない。国民新党も、「国民」と括るのに無理がある場合が多い上に、言っている事にこれと言った新鮮味やアイディアもない。似たような台を入れ替えただけの「パチンコやの新装別館開店」に近い。「たちあがれ日本」に至っては、明日のジョーの見すぎだろ、と突っ込みを入れたくなる。社民党は社会主義を標榜しつつ、民主主義を両立させる、と言うのだとすると、生産手段の共有化が民主主義と折り合いがつくのか疑問なので、和洋折衷の感がある。話しは戻るが「国民」と纏めたがるネーミングはナチ(ナショナリストと同じ語源だと思う)を想起させ、不穏な響きを私には与える。(了)