11日(日)エッフェル塔下「シャンドマルス公園」で東日本大震災の募金イベントを、あしなが育英会で行う。
宮城県太鼓連絡協議会のメンバーで久保泰宏会長の下に、女川・石巻を中心に被災した中・高校生ら総勢10名が鎮魂の「鼓音」を演奏。そして仙台育英高校津波遺児2人、あしなが育英会大学奨学生2人がそれぞれ支援の呼びかけを行う。
観光客がたくさんおしよせる場所とは反対側の、あまり人通りの少ないところでやっと市役所の許可が取れ、最初をどうなることかと心配していたが、1時のスタート時には数多くのマスコミや立ち止まる人も増え100人を超えた。
太鼓のメンバーも普段はごく普通の中・高校生らだが、太鼓を叩く時はちがう。りりしく雄々しい。男の子はかっこよく、女の子は美しい。涙が出る程の感動をする。魂の底で亡くなった人達と一体となったような演奏だった。
仙台育英高校1年生、菅原彩加さんの呼びかけも心をえぐる。「もう一度生まれ替わっても、菅原家の家族で生まれたい。例え15才の時、また津波にあって家族が亡くなったとしても、やはり菅原家の娘で生まれたい。」と家族を愛する彩加さんの心情には、やるせなさとまたやさしさがあった。
仏語でも同時通訳され、日本やフランスのマスコミもたくさん来ていたので世界に発信されるだろう。
以下2人の心からのメッセージを添付する。
仙台育英高校1年 菅原彩加
私は3月11日の日、中学校の卒業式でした。十年間共に過ごした仲間との素晴らしい別れの一日、一生想い出に残る良い日になるとばかり思っていました。卒業式が終わって家に帰るとすぐに地震が来ました。今までにないほどの大きな揺れだったのですぐに停電になってしまったためにテレビなどから情報を得ることが出来ず、私の携帯を使い津波が来るという情報を得た時にはすでに遅く、地鳴りのような音とともに津波が私の家と家族を飲み込みました。がれきと黒い水に流され「もう死ぬんだ」などとたくさんの事が私の頭の中を駆け巡りました。しばらく流されてがれきをかけ分けてでていくとがれきの下から母が私を呼ぶ声が聞こえました。がれきをよけてみると釘や木がささり変わり果てた母の姿がありました。右足が折れはさまって抜けず、がれきをよけようとしましたが私一人の力では抜けずがれきをよけようとしましたが私は一人の力ではどうにもならない程の大きさ、重さでした。母のことを助けたいけれどここに居たら自分が死んでしまう。助けるか、逃げるか。私は自分の命を選びました。今思い出しても涙のとまらない選択です。最後その場を離れる時、母に何度も「ダイスキだよ」「ありがとう」と伝えました。行かないで、という母を置いてきたことは本当に辛かったし、こんなに辛いことはもう一生ないのではないかなと思います。この後、私は泳いで小学校へと渡り、一夜を明かしました。
この後も私が経験した辛い体験はたくさんあります。辛くて死のうかと思った日もあります。なんで私だけと思った日もあったし、家族を想って泣いた日も何度もありました。この震災で私は数え切れないほどの多くのものを失いました。
あの辛かった3月11日から、はや8ヶ月がたちました。私はあの日から生活や環境はもちろんのこと全てが一からのスタートになりました。月日が経つと共に家族を失った悲しみを改めて実感したり、大好きな地元を離れる辛さなど辛いことは決して減ることはなく増えて行く一方です。しかし、3月11日の私よりも確実に今の私の方が強く、そして前向きだと思います。それはいつも支えてくれるお祖父さんこのようなあしなが育英会で出会えた仲間、応援してくださるたくさんの人が居るからです。そんな人々に背中を押され私は強く歩いています。大好きな家族を失ったことは今でも本当に辛く泣かない日はありません。しかし私は生まれ変わった菅原彩加としてこの家族に生まれたいです。この震災によって家、家族を失い悲しい気持ちはたくさんありますが、この家族に生まれなければよかったとは一度も思ったことはありません。また15歳で家族も家も失ってしまうとしてもきっとこの家族に生まれることを選びます。そう思えることはとても幸せだし、そう考えると私は決して不幸でも可哀想でもありません。
私の大好きな最愛な母、面白くて優しいお祖母さん、器用で元気なおっぴちゃん、可愛いペットみんなみんなもうここには居ないのです。
家族との思い出を胸に抱え私は、今一緒に家族友達仲間を大切にして、天国にいる家族に恥じないようにしっかりと前を向いて歩いて行きたいです。
仙台育英高校1年 日下マリア
3月11日に日本で起きた地震から9ヶ月が経ちます。最近では、周りに少しずつ復興してきています。時々あの地震は何だったんだろうそう思うことがあります。毎日学校に行って部活をして帰ってくる、まるで地震前のように生活を送っている自分がいます。地震で家、家族を失って絶望的だった私は、何でここまで頑張ってこれたのかな、そう思いました。
この地震で失ったものはたくさんあるけど、地震があったからこそ分かることが、出来たことがたくさんあります。いつも自分を心配してくれる友達がいます。いつも側で支えてくれる家族がいます。そしてあしなが育英会を通じて知り合う事のできた人たちもいます。たくさんの人たちが私にはいるので毎日を送れている気がします。
私より辛い想いをした人はたくさんいます。ある日、家で見つけたノートにお母さんが書いていた事、3月11日に亡くなった父に対し「会いたい、私強くなるよ。毎日頑張るから」と書いてありました。自分は今何をしてあげられるだろうと考えました。
今までお父さん、お母さんにたくさん迷惑をかけていたその分、今自分がしたい事を最後までやり遂げようと思いました。
私は震災を通してたくさんのボランティアに参加し、募金活動など、たくさんの人に助けられました。それから自分も、少しでも困っている人を助けたいと思いました。将来は介護の仕事をしながら海外ボランティアもしたいと思い、英語も学びたくて4月から留学をします。今までの自分だったら怖くて留学やボランティアはしていなかったと思います。この地震で私は変われたかなと思いました。
家族、友達と離れて生活するのは不安がありますが、自分の決めた事なので最後まで頑張りたいです。
博文会のあしなが育英会チャリティーゴルフ大会が高坂カントリークラブで開催される。212名59組の参加があった。
ご協力をいただいた関係各位、協賛をいただいた企業や個人の多くの方々に感謝を申し上げたい。
平日の連休明けにもかかわらず、仕事を二の次にして良く参加して下さった。しかし昨年から比べると4組少ないし、今年で第14回になるが、ピーク時の80組から比べるとかなり減少した。景気による影響だ。以前はゴルフの参加者を募るのに苦労をすることもなく、すぐ集まったがここ1、2年は大変になってきた。
やはり景気対策、経済成長に対する要望が第一だ。少子高齢化、産業の空洞化、電力不足や労働人口減少の中で、経済発展をさせることは国家戦略だ。民主党政権にはそれがない。多くの方々から早く政権奪還をしてほしいとの激励を受けたが、当然のことだ。
あしなが育英会からは吉田事務局長が来てくれた。板橋区内では博文会以外でも、商店街では、遊座大山商店街、志村坂商店街、上の根商店街がそれぞれ募金の協力をいただいているし、ゴルフの表彰パーティーでは、その場で個人で100万円の寄付の申し入れもあった。本当にありがたいことだ。
3・11以降封印していたゴルフをする。博文会「あしなが育英会チャリティ」ゴルフコンペが9月26日(月)に開催される予定で、その打合せを兼ね幹部だけのコンペを20人でグランディ軽井沢ゴルフクラブで行った。
前日から博文会の紹介ですばらしいメンバーホテルで懇親会を開いた。朝7時にホテルを出発する時には雨脚が強かったが、プレーするころには雨もやみ、終了まで雨に降られずプレーすることができた。
3・11以後ずっとゴルフをするような心境になれなかった。いろいろなところからお誘いがあったが、私は特に3・11の大地震は国会議員に対する天からの怒りであったと受けとめていたので、今年になって一度もやっていなかった。
3・11以後半年たち、国会も閉幕し私の後援会のイベントなので出たが、これが予想以上に気分転換になった。
地元板橋の私を支えていただいている暖かい人達とすべてを忘れ楽しく過ごすことができた。私の尊敬する島田晴雄先生が理事長の軽井沢森泉コースも美しいコース設計で自然も堪能できた。
大竹美喜博文会最高顧問の提案で来年また軽井沢の他の名門ゴルフ場でプレーすることも決まったが、軽井沢は私が好きな場所だ。若い頃は夏には毎年来ていた。
今年の初めての軽井沢は9月で季節はすでに秋の気配であり、到着時は雨まじりだったせいもあったのか、3・11の心象風景なのか、何か寂しさを感じるものでもあった。それとも高原の初秋のかもし出す、夏の終わりの祭の後のような寂しさなのだろうか。
午後1時より75分間、文科委員会で質問に立つ。まず、東日本大震災で文科省は受身ではなく、依頼がなくとも被災地に飛んで行き、特に宮城・福島・岩手県の教育委員会等の支援をすべきと提案した。
23日の日本経済新聞に大きく載っていたが、あしなが育英会も23日に阪神大震災の遺児支援に携わったスタッフら6人を仙台市などに派遣し、各避難所で親を亡くした子どもの現状や必要な支援策の調査に乗り出す。
あしなが育英会は遺児への奨学金特例制度も新設する。今回の地震で保護者が死亡・行方不明となるか、著しい後遺障害を負った場合を対象に、未就学児に10万円、小中学生に20万円、高校生に30万円、大学・専門学校・大学院生に40万円を、返済不要の特別一時金として支給することも決めた。
遺児の心のケアのためにも、東北レインボーハウス(仮称)の建設に向けた調査にも着手する。(これは私が副会長として提案した)
文科省も、復興支援のための補正予算をこれまでの前例にとらわれず、しっかり組めるよう準備をするように提案した。
義務標準法改正案については、そもそも本改正案の成り立ちについて問題とした。民主党政権は、「高校授業料無償化」を守るために、義務教育国庫負担金にも、10%削減のマイナスシーリングをかけた。
教職員の給与の3分の1は国庫負担金になっている。これは義務教育に対する国の責任を果たすと同時に、全国すべての学校に必要な教職員を確保し、都道府県間における教職員の配置基準や給与水準の不均衡をなくし、教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るためだ。
文科省はそのままだと10%の給与カットになってしまうために、小学校一年生を35人学級にするという、「元気な日本復活特別枠」を使って、義務的経費を戻すという「方便」を使った。この特別枠の中に、他の教職員のマイナス部分相当額を入れておいた。
「高校授業料無償化」のために、義務教育費だけでなく、学校耐震化や道徳教育なども削減してしまうという、その考え方が許せない。しかし予算案は既に成立した。同じ教職員を増やすのであれば、わが党は、小学校一年生の35人学級に限定されることなく、学校現場の実情に応じて、少人数指導を充実し、特別支援教育や指導困難児への対応、専科教員配置などに活用できる対案、そして今回の災害対策にも加配できる対策も作成した。今後も熟議を重ねていきたい。
東日本大地震でお亡くなりになった方、被害に遭われた方々に心よりご冥福とお見舞いを申し上げます。
M9.0という未曽有の大地震が突然日本を襲った。被害は、日々刻々増大しつつある中で、災害の恐ろしさをこれほど実感したことはない。
私は、11日(金)当日は午後4時過ぎに党本部に緊急招集がシャドーキャビネットにかかり出席し、また12日(土)は11時より、13日(日)は12時よりいずれも緊急災害対策本部の会議があり出席した。
政治休戦し、まず与野党協力して一日でも早く被害に遭っている方々に救援支援を国をあげてする事に全力を尽くすべきだ。
13日(日)には、10時30分よりあしなが育英会でも緊急幹部会が開かれた。学生達は27日(日)より街頭募金に立ちたいと自主的に提案してくれた。
困難の時、今日本及び日本人がためされている。私達はこんなことでつぶれてはならない。今こそ私達は力を合わせて頑張ろう。

1月29日(金)、あしなが育英会の学生たちの寮である心塾(東京都日野市百草)にて、月に1回開催されている学長講座の本年度最終回の講師として招かれた。
『意識革命』と題して講演した下村代議士は、自らの遺児としての経験を元に「皆はあしなが育英会の遺児。世間的には不幸だが、そういう体験・経験はプラスにすることが出来る。私も9歳のときに父を亡くしてから意識が変わった。要は自分かやろうという気になるかどうかであり、遺児ということを自分のエネルギーにしてほしい」と熱く語った。






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